スコーレ大成・2

前回の続きです。(超長いよ)
最近土方のバイト行ってます。
流石に疲れるので、家に帰ると飯食って風呂入って寝る!の繰り返しです。
ですが、北平のN野の婆ちゃんは毎日元気。ま、負けられん!(-᷅_-᷄๑)
現場では、私、やせ我慢して元気なふりしております( ̄∇ ̄)マケラレナイ!

さて、スコーレ大成「醤油について」

会場についたら。
以前大洲市PTA でお世話になったH川さんが。そういや、町おこしの活動してるって言ってた。
立派な看板作ってすごい。
見てわかるもんが残るのっていいわ〜💖インパクトあるよね〜こういうの大事な気がする。

講義内容〜
「本物ってなんだろう?命って?」
って事が軸となって話が進んだと思う。

子供の頃アトピーがひどかったそう。
お母さんは宇和島出身。
爺ちゃんがお医者だったけど、
「大きくなったら治るからね」
と言われ続け高校生ごろ自然に治ったそうです。
で、母親が申し訳ないなんとかしたい
と言っていろんなことしてくれたんだって。
いいと聞いた事は片っ端から試され。
しみるのに、海に付け込まれる。
温泉にも沢山連れて行ってもらった。いろんな病院に行っても良くならなかった。
祈祷師まで頼んだけど、良くならなかった。
中学生の時はお尻も痛くて椅子に座れないほど。

ジャスコで数字追いかけるのは楽しかった。
でも「このままでいいのかな?」
実家に帰って考えた。
小さい頃、あれ?なんでアトピーになったのかなー
昔の人ってアトピーになってたか?
何が昔と違うのかな?
明治以前と以降では食べ物違うよね。
昔の農薬は?あっても自然と調和しながらだったよね。
食べ物変わってく。。。。
環境は、ビルやダムなかったよね。
環境を昔ながらに戻す?ダム反対の人みたいに反対?違うよねーーーー。
環境に、いいものを作るほうが近道じゃない?俺はそっちがいい。
そういや、実家は調味料の
「さしすせそ」のうちの3っつも作ってるよね。
ええ!これってすごい事なんじゃない?大事だよねー。
家業を潰しちゃいけない!
お客さんを裏切る最大の行為というのは、倒産して供給できなくなる事と考えてる。
倒産はしない真っ当な仕事をしていきたい。
世の中にどんな醤油があるか、どんなもんが売れるのかはジャスコ時代でわかってた。
「醤油を作らなくて何が醤油屋か!」
と、親は言ってた。
この言葉の意味は、
今の醤油屋は、100件醤油屋があったら1割未満しか自分のとこで初めから最後まで作ってないそう。

一般的
大豆 洗う 浸水→一昼夜→ 蒸す 
小麦 炒る 割る→
大豆と小麦混ぜて、種麹をまぶす。
麹室で醤油麹を作る
塩水と醤油麹を合わせるともろみになる。
薄口で 1年6ヶ月以上寝かす。
そして絞る。
絞りかすは無料で農家に提供してい
る。
家畜の餌に混ぜたり、畑に入れたり。
一方、液体は生揚げ(きあげ)醤油になる。
火入れ→瓶詰め→ラベルを貼り完成。

原料を仕入れるとこからしてる店はあんま無い。1割未満しかない。
大手はやってる。
小さい蔵はしてない。
生揚げを買ってきて作ってる。
調整(いろんな味付け)をして詰めるだけ。
大豆は遺伝子組み換えでないというのがついてなければ、遺伝子組み換え大豆。
組み替えてる大豆のが多いので、
少ない物の方に、“組み替えでない”と書いてる。
大抵酵母や酵素を添加してある。
「天然醸造」と書いてあるなら酵素添加してない自然の力だけで作ったもの。
アミノ酸
ステビアなんかも入ってる。

明治26年頃からの醤油屋

戦後、現金化するに2年もかかる醤油は、なかなか大豆を回してもらえず。戦後高度成長期の前、中小企業近代化補助とかいうので、
設備入れませんか?協同組合になりませんか?巨大な工場作って生揚げまで作るから、そっから先をそれぞれでして、みんなそこの社員になってね!
今まで製造してた自社工場はスクラップしなさいよ。
なんて感じの?政策があった。
だもんで、中小企業はそんな感じでまとめられるとこはまとまったらしい。
愛媛県は、横に長くまとめるには距離が遠すぎてできなかったとか。
麹が変質するとかなんとか。
で、今回の会場も醤油屋さんだったけど、その頃廃業とした様子。

当時
脱脂加工大豆が原料のものが多かった。
よく添加してあるアミノ酸は、 動物性のタンパク質分解して作る。塩酸で分解することも可能。
            
醤油の種類は
濃口 、薄口、再仕込み、たまり、しろ
五種類しかない。
刺身醤油は勝手に刺身醤油言ってるだけ。
食べたら刺身に合ったっていうだけ。
アミノ酸とアミノ酸液は違う。
アミノ酸入ってても本醸造。10種類入ってても本醸造と言える。

本物の醤油とは?
江戸時代の醤油かなと思う。

脱脂加工大豆について。
日本人が消費している大豆で国産は
約5パーセント
大豆の加工別では80パーセントは油。ほぼ輸入。
これの絞りかすが脱脂加工大豆。
残り20パーセントが丸ごと大豆として使われる。
25が国産75パー外国(どのこと言ってるか忘れた)
脱脂加工の方がアミノ酸のが多い。
大豆は水、油、タンパク質でできてる。水と油を絞ったカスは、タンパク質の部分がほとんど。
なので旨味のある醤油ができる。
醤油の原料
7割脱脂加工大豆、3割丸大豆。
国産の丸大豆は3パー以下しかない。

国産と言っても、どこ産でいつ取れたかわからない。
それが嫌なので、梶田さんとこは
そこまで言えるようにしてある。

(確か、)国産の35%が豆腐、25%が納豆、15%カンズメ、10%が味噌醤油、15%がその他として使われてる。

コレステロール数値下げろ!と言うけど、食の欧米化で昔に比べたら6倍も油を摂取してる。
そんなに油使わないとダメなの?
急激に摂取量が変化したせいでコレステロール値に影響してるのでは?

戦争してみて
アメリカは日本人が怖かった。
根底からなんとかしないと復活して向かって来られたら困る。そこで食文化を変える事にしたそうな。
人間を根本から変えるには、食事を変えるのが有効だと考えた様です。

戦後は10年ほど大豆不足で醤油仕込めなかった。
アメリカの小麦戦略。
当時アメリカで小麦がだぶついていた。その余剰小麦を処分し日本の食文化を変えれば一石二鳥でうまい。
そして日本人は生活習慣病にかかっていく。

野菜を作ろう。
今は昔の6/1以下にミネラルが低下してしまってる。

海が汚れてくるので山を綺麗にしよう。と、漁師が言い出した。
綺麗なミネラルが海に来ると、プランクトン上手に繁殖し、昆布わかめも育ち水が綺麗になる。
今はダムがあることによって、下流まで流れていかない。

畑は化学肥料には無頓着。
中国の何倍も使ってる。
土がダメになる
ミネラル欠乏になっていく。

甘いもの傾倒し味覚おかしくなってる。
今は多数決したら、本物が負けちゃう時代になってしまった。

梶田さんとこではリーズナブルなラインナップもしてる。
持続可能な経営。拡大路線はしない。
最大の裏切りは潰れること。
安売りして利益出ず、客は喜んでよかったが店が潰れたでは成り立たない。
潰れたら元も子もない。
明治7年頃はどんな人が客だったか?
大洲に20件醤油屋があった。
地元の人が買い支えてくれたおかげで今こうして店が続いてる。
地元に恩返しをしたい。
地元の原材料優先で使ってるとの事。
宇和の大豆を使ってる。
宇和が大豆生産量多いので。
他、地域貢献として小学校に授業に行ってる。

「体はなんでできてる?」と、小学生に質問する。
何を食べて生きてるか考えてもらう。
「お母さんが残さないの!ちゃんと食べて!」って言う意味を授業を通して自分で理解することができる。
カップラーメンじゃなくちゃんと。
親の意識も大事。
「いただきます」の本来の意味
「命をいただきます。」食べ物には命がある。
最近は「ひもじい」がわからなくなってる。
元となる命があったんだよ。
小さくても理解すれば、大切だって思って食べ物を残さなくなる。
手前味噌教室なんてのも親子対象でやってる。子供だけが理解してても、そのうち忘れてしまう。
親がフォローしないと身につかない。
料理の場を見せることは大切。
愛情どこにそそぐか。

作り手、一つの業者の後ろには農家、塩屋さん、販売店その先に生活者がいる。
消費者って言う言い方は好きじゃない。生活者。

大豆値上がりすごい。
7月中旬に種を蒔いて、
大豆の旬は12月。
醤油は11月中旬から仕込み6月には終わる。
気温が上がると麹が無理。
醤油と味噌は同時に仕込めない。
第2土曜は休み1-3月は濃口の仕込み。
普通の大豆の流通は12月収穫したものが6月にならないと出てこない。
すると、醤油を仕込むには、前年度のじゃないと仕込めない。
それは嫌なので、農家と直接取引をしている。
大豆は大体一反で100キロとれる。
コメは420キロ。
だから大豆はお高い。そしてだんだん値上がりしてきてる。
1オケ900キロ〜1トンの単位で仕込む。
なので大規模農家と取引をしている。
醤油は自社分析してる。
外部にも依頼してる。万全。

良い人材は食べ物に由来すると思ってる。
食べる事に注意をすることは、将来の自分に対する最大の投資。

キッコーマンは学術的にすごい。

うちの醤油は水がいい。青い色していてミネラルバランスがいい感じ。
中軟水地下水仕込み。
生醤油は“きじょうゆ”と読む。
例外は、ルビが打ってあるのは
“ナマしょうゆ”と読む。
ナマしょうゆー加熱殺菌してないもの。
きじょうゆー火入れをしてるが何も足してない。純正醤油
火入れをするだけで、香りが違う。
加熱するとお腹減る香りになる。
うちのは伸びが違う。
醤油使う量が少なくていい。


。。。。。すんません。
ここまでで、まとめ放棄させていただきます。
もう疲れた。風呂入って寝たい。
よって以下は講義聴きながらiPadでメモったもん、ほぼそのまま貼っときます。m(_ _)m
醤油の事や、命ってなんだろう?生きてるって?って事を伝えたい
っていう感じをすんごい受けました。
なので、できる限り内容乗っけたつもりです。だからシェアしてもらえると嬉しい。
テープ起こしをしたわけでもないので、間違ってるとこもあろうかと思います。
なので、各自醤油屋さんに行ってお話ししてみてはと思います。
同じ志を持つ友達とのコラボイベントなどもあるみたいですし、先々とても楽しみなお店です。では!♨️入って寝ます!

以下、メモ貼り付け

弁当について
はたきにある。
おじいちゃんばあちゃんご夫妻が孫に喜んでもらいたい三代で懐石料理出す
息子帰ってきた。


スクールの語源となるスコーレだけに、テーブルは小学校の図工室の机です。廃校になったのでもらって来たそう。他に小さな黒板などもあります。
図工→家庭科室→みんなで給食を食べてた机。
スコーレはスクールのギリシャ語
自由な時間を自分のために使おう
という事でこの言葉が生まれた。
8年前に帰ってきた。大石邸
おおいし昭和14年醤油屋さん店舗
昔は量り売り
借家貸家になってた。
地域のために使ってください。建物土地あげる。と言ってもらって今がある。
カフェ12月から月一で始めてる。
npoメンバー10人で考えた。

梶田さん
大洲市辰醤油梶田商店
s49年44歳
稼業嫌だった。絶対継がない。
長男決めつけられて嫌だった。
そういう強い意志を持って
東京農業大学醸造学科へ。
農大醸造学科、学科長が父の友人。
この2人の思惑により日体大でサッカー教えたりしたかったのに、推薦受験したら合格で醸造学科へ。
まあいっかで行った。
今は応用微生物科になってで、入りにくくなってる。
醸造業稼業にしてる人には広く門戸を開く。
がモットーの学校。
酒屋の息子ばっかり。
しっかり学んで売り込む意志で来てた。
自分は公務員試験の勉強してた。
技術系に工業院生ばっかの入社試験。
イオンが内定。それで就職活動しなかった。
ジャスコ
スーパーで仕事をしてた。
食品を売る楽しい。
予算あげるからクリアしなさい。
自由にさせて貰って楽しかった。
厳しい上司だが〈能力あって知識があって成績優秀〉な人だった。ラッキー
後追いばかりして育ててもらった。
中部カンパニーにいた時に
真っ当な食を売ってるのかな?ぶち当たる
生まれた時アトピー性皮膚炎だった
長かった17歳まで11-13歳1番ひどかった
やーいブツブツとからかわれた
たまたま自然に治った
なんでそうなったのかな?振り返る
食べ物の影響ってすごいんだな28歳になった時実家ってすごい仕事してるんだなって思った
醤油屋になって16年目になる。
醤油のことは3/1
もっと大切なことがある
みんなと共有しながら(?)いきたいのか
伝えたい大事なことあるんんじゃ無いかな?

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